ラオス概要
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国名 |
ラオス人民民主共和国 Lao People's Democratic Republic |
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総面積 |
23万6,800km2 |
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人口 |
560万(2005年)ラオ族、モン族、アカ族、ランテン族等、68の少数民族により構成されている。 |
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言語 |
ラオ語(公用語) |
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通貨 |
キップ(kip) 1US$9,500 (2007年5月)
流通紙幣:500/1,000/2,000/5,000/10,000/20,000/50,000キップ |
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時差 |
日本より2時間遅れ。日本が12時(正午)の時、ラオスは午前10時です。 |
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電気 |
22V/50HZ |
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政治 |
1975年12月2日の社会主義革命より、Lao People's Revolutionary Party(LPRP)を母体とした社会主義国家となりました。現在の元首はチュンマリー・サイニャソーン大統領。首相はブアソーン・ブッパーヴァン(2006年6月) |
地理
| ラオスはインドシナの中央に位置し、北の416kmを中国、北西236kmをミャンマー、西1,835kmをタイ、南492kmをカンボジア、そして東1,957kmをベトナムと国境を接しています。国土の70%を山岳地帯が占めており、シェンクアン県のプービア(ビア山)においては標高2820メートルに達しています。ラオス最大河のメコン河が国内を1,900kmに渡って流れ南部には川幅が最大20kmにも及び、何千もの島々がある地域があります。 |
気候
| 熱帯性モンスーン気候に属し、5月から9月の終わりまでを雨季、10月から4月までを乾季という2つのシーズンに大別されます。年間平均気温は約28℃で4月、5月には40℃近くなることもあります。ヴィエンチャンの最低気温は1月の19℃、山岳地帯の冬季には14℃から15℃まで下がり、夜間は零下まで達することもあります。年間降水量が最も多いのがラオス南部で、安南山脈では年間3,000ミリを超えます。ヴィエンチャンの降水量は1,500から2,000ミリ。北部では1,000から1,500ミリ程度です。 |
宗教
| ラオスの国民の約65%が南方上座部仏教で、そのほとんどが低地に住む低地ラオ族(ラオ・ルム)。山岳民族においてはわずかにタイ族に見られる程度であり、その他の山岳民族はアニミズム当の固有宗教を持っています。ラオスの仏教は生活に密着したもので、カレンダーを見ても祝祭日は仏教関連がほとんどです。男子は生涯に一度は出家し仏門に入ります。昔は雨季の3ヶ月を寺院で過ごしてきましたが、今日ではほとんどの男性が1〜2週間に短縮しています。 |
国旗
赤色は独立闘争で流された尊い血の犠牲を、青色は国家の豊かさを象徴しているとされています。白い丸は平和と輝かしい未来の展望、青は国家の繁栄とメコン川を表しています。
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動植物
ラオスには東南アジアの中でも出つ数の自然が残されている地域です。西洋の植生とは異なるその熱帯雨林は半分が原生林であり、最上層が針葉樹林、中間層はチーク等の堅木、最下層の下生え、小木、雑草、竹等の3つの植物相により構成されています。
加えてラオスの植生は、豹、ジャワマングース、山羊、テナガザル、ナマケモノ、マラヤサンベアー、アジア黒熊等の多種類の哺乳類が生息る野生の王国を作り上げています。また、らおす東部地方で発見された鹿の一種である珍しい動物、サオラーの発券はベトナムで大事件となりました。もしかしたら他にも未発見の種が生息している可能性もあります。
ラオス南部、コン島の近くではイラワジイルカが生息しています。野生動物に出会うことは大変難しいですが、春の水量が最も少ない時期にはイルカの姿が頻繁に見られます。ラオスは渡り鳥も多く、非常に珍しいものでは緑孔雀があります。 |
歴史
| ファバン県とルアンパバン県の田舎で発見された石器は、少なくとも40,000年前には狩猟と採集生活をしていた人たちがこの地域にいたことを証明しています。集団農業社会は紀元前4,000年頃から現れたと考えられます。考古学者によって発見された埋葬壷や墓により青銅器は紀元前1,500年くらいから、そして鉄器が紀元前700年ころから使用されているのが知られています。 |
| 原始時代は、中国やインドの影響を受け、4〜8世紀にかけては、メコン河に沿って発生した集落が町、ラオス語で言う“ムアン”に発展し、1353年にはファグム王によりシェントーン(現在ルアンパバンとして知られている)を王都としてラーンサーン(100万頭の象)王国が興りました。 |
| 王国はさらに後継者によって発展していきました。1548年〜1571年まで王国を支配したセタティラート王は王都をヴィエンチャンへと遷都し、タートルアン寺院やエメラルド仏“パケオ”を安置する為の寺院等を建立した、もっとも有名な王として知られています。 |
| 17世紀に入り、スリヤウォン王の統治の下、ラーンサーン王国は最も隆盛な時代となります。王国はヨーロッパとの最初の出会いを経て、1641年には東インド会社のオランダ商人Geritt
Van Wuysthoffが、その後はイタリアの宣教師Leria de Marineがラーンサーン王国を訪れて、ヴィエンチャンを東南アジアのもっとも壮大な都市と評しました。 |
| しかしこの黄金時代はその後王座をめぐる戦いへと移り、ラーンサーン王国はヴィエンチャン、ルアンパバン、チャンパサックという3つの王国に分かれ、外国からの侵略のチャンスを作ってしまいました。 |
| アヌ王の時代にシャム人の侵略があり、ヴィエンチャンの街は破壊され、エメラルド仏は今日に至るまでバンコクへと持ち去られてしまいました。 |
| ラオスは1893年にフランス政府の管理下に入れられましたが、その後主権を回復する為に、ラオス人々はインドシナ共産党(1930年に設立された)のリーダーシップの下で、自決と独立のためフランス政権に対する戦いを挑みました。最終的には軍事と政治的な激動の期間を経て1954年にインドシナに関する国際会議及びジュネーブ協定で、ラオス、ベトナム、カンボジアの独立が承認されました。 |
| しかし状況はベトナム戦争により悪化しました。1962年のジュネーブ合意はラオスの中立を認識しており、すべての外国軍隊の駐留を禁止しましたが、ラオス国内を縦断するホーチミンルート爆撃のために、アメリカは第2次世界大戦中に世界中で落とした量よりも多くの爆撃をラオスに投下しました。 |
| ラオスは国民一人当たり、歴史上最も酷い爆撃を受けた国です。とりわけファパン県では現在でも爆撃物処理の国際チームが働いており、人々は未だに戦争の遺産に苦しみ続けています。 |
| 1975年にはラオス人民革命党のリーダーシップの下で、ラオス人民が力をあわせて無欠勝利を獲得し、12月2日に人民民主共和国を建国し現在に至っています。 |
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